Letter

浜崎あゆみ。不器用すぎる少女が、20年の時を超えて明かすラブレターのひみつ。

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M 愛すべき人がいて…

 

本と同じタイトルの曲「M」は、わたしをあゆちゃんの世界へ引き込んでくれた大切な曲だ。

 

あゆちゃんをわたしを引き合わせた曲と同じタイトルの本。

歌姫誕生に秘められた、出会いと別れの物語。

これは、事実に基づくフィクションである。

 

ほんの一握りのひとしかなり得ない歌姫までの道のりを、キズつきながらも必死で歩み続けてきたあゆちゃん。

 

デビュー前から全盛期に昇りつめるまでの歌姫誕生の裏側を、プロデューサーである松浦勝人氏との恋愛という背景を交えて描かれた小説だ。

この物語が意図することとはなんなのか。

 

ファンが想像を掻き立てる様々なトリック。

あゆちゃんは、こういうのがだいすきだ。

だからこそ、誤解されやすい。

 

ねえ、本当に、あなたはあまりにも不器用だよね。

M 愛すべき人がいて 暴露本・告白本という見解

率直に言うと、この本は暴露本でも告白本でもない。

最初にも、最後にも、「事実に基づくフィクション」との記載がある。

 

発売される前から暴露本だとか、今さらだとか、話題づくりだとか…

いろいろな人がいろいろなことを言っていたようで、そんなことを聞きたいわけじゃないわたしは、どうも落ち着かない。

 

ところが、どんなことを言われようとも、本が出版されてわずか10日間で既にベストセラーとなり、浜崎あゆみが令和の時代になった今もいかに世間に知れ渡っているのかが伺える。

 

それでもまだ聞こえてくる、「聞きたくなかった」「今さらの暴露」「痛い」という声。

 

そんなこと言ってもね、あゆちゃんが平成の歌姫であることには変わらないんだよ。

そう言うあなたにも、何かしら感情を動かすものがあるから、そう言わさるんだよね?

 

それらの声に共通するのは、「事実に基づくフィクション」であると言っているにもかかわらず、「本の内容すべてが実際に起きた出来事であると捉えている」ことではないだろうか。

 

わたしも本を読んで、あの歌詞はこんなふうにできたのか…と思ってしまったあたり、事実だと思いこんでしまっているのかもしれないが。

M 愛すべき人がいて が意図すること

さて、では「事実に基づくフィクション」なんていう中途半端な位置づけでの出版に至ったのはなぜだろうか。

そこが、いかにも浜崎あゆみらしいと思う。

 

あゆちゃんの歌詞は、ご存知のとおりあゆちゃん自身が手掛けている。

 

そして、その歌詞ができる背景が詳しく語られることは多くない。

それはあゆちゃんが「聴くひとによってそれぞれの目線で受け取ってほしい」という思いで大切に一曲一曲を歌っているから。

 

そんなあゆちゃんが、過去の歌に込められた思いを「事実に基づくフィクション」というかたちで公開したのだ。

 

本の最後にあゆちゃんからのメッセージでもあるように、

一体どの部分がリアルでどの部分をファンタジーと感じているんだろう。

というところにあゆちゃんらしさが全開となっている。

 

読むひと自身が、それぞれの目線で受け取るストーリーとなる。

結局は

真実は当人達だけが解っていれば良い事だと思っている。

といって読者の想像を掻き立てさせることをやめない。

 

ああ、浜崎あゆみはいつまでも浜崎あゆみのままだ。

と、嬉しくもなった。

 

この本に出てくる曲たちは、1曲を除いて、どれもデビュー初期の曲ばかり。

それらの曲たちが、あゆちゃんのどんな感情をもとににして出来上がったのか…

 

デビュー21周年を迎え、令和という新しい時代になった今、このタイミングで教えようとしてくれているのではないか。

 

「事実に基づくフィクション」だなんて、不器用すぎるあゆちゃんらしいやり方で。

 

当時、誰にも明かせなかった心の内を歌詞にして叫び続けていた少女が、20年という歳月を経て「わたしってね、こんな気持ちで歌詞をかいていたんだよ」と照れながら語ってくれているのではないか。

ずっと心に秘めたまま閉まっておいたラブレターのひみつを、そっと教えてくれたんじゃないかなとおもうのだ。

 

時を経たことにより打ち明けられるようになったのかもしれない。

 

 

ーーーと、そもそもそんなことを考えさせてしまうような本なのだ。

 

 

読むひとそれぞれが、ストーリーを膨らませていく。

 

それは、浜崎あゆみの歌詞と何ら変わらないものである。

M 愛すべき人がいて 本を読んだ感想とともにあゆちゃんへの思いを語る

この本はノンフィクション作家である小松成美さんによって書かれたものであるが、ストーリーはあゆちゃんの目線で書かれている。

そのため、まるであゆちゃんの心のなかに入っているような気持ちになるのだ。

 

実際読んでみると、すぐにその世界に入り込んでしまって、まるですべてが事実と思えてしまうほどに、あゆちゃんの曲に対する見方が変わった。

 

感想を書こうとすると、どうしてもあゆちゃんへの思いが溢れてきてしまうため、本の感想をまともに書けないのだが…

それでも、あゆちゃんへの思いを綴りながら感想をかいてみる。

 

 

 

 

マサが私の前から去ったあの日からずっとやめることを考えていたのだけれど、 マサがこの世に送り出した浜崎あゆみを、私はどうしても葬り去ることができなかった。

 

あゆちゃん、辞めないでいてくれてありがとう。

マサさんの思いを大切に繋いできてくれて、本当にありがとう。

そのおかげで、わたしは生きている。

 

 

大切な曲を今のあゆがどう歌って、どう伝えていくのか、それを考えてる。歌詞の一行一行を手にして、ひとつひとつ丁寧に気持ちを探していくの。今の自分だからできること、絶対にあるから

そんなあゆちゃんだから、歌詞が響く。

これからもステージに立っていたいと語るあゆちゃんの姿。

どんな表情で、語っていたんだろう。

その言葉を、ひとりのファンとして心からうれしく思うし、ずっと信じていたい。

 

 

誰かを愛しているという感情を、自分にだけは隠すことをやめよう。

そう思えたあゆちゃんだから、歌詞のなかで素直に感情を隠すことなく表現できるんだろう。

大人になるにつれ、全ての感情を出していくことが簡単ではなくなっていく。

 

ひとは皆、なにかしら感情を隠して生きている。そう、自分にさえ。

隠したいわけじゃなくても、隠していくうちに自分の心の声に気がつけなくなっているのではないだろうか。

だから浜崎あゆみの歌詞に気づかせてもらうことができ、ハッとする。

ああ、わたしこんなにもあの人のことが好きだったんだ、と。

 

そうして、人びとは浜崎あゆみに魅了されていく。

 

あゆちゃんが感じたことをストレートに表現しているのだから、同じように世間に本心を隠しながら生きなければならないこの時代を生きる人びとにとって、響くものがあるのもうなずける。

 

そういえば、本の話とは逸れるけれど、あゆちゃんは過去に「恋愛のことのように書くことで、聴いた人が歌詞を捉えやすくなる…」というようなことを言っていたような気がする。

曖昧な記憶だけど、たしかRock’n’Roll Circusに収録されているMicrophoneについて語るときだったような。(間違っていたらごめんなさい、ご指摘ください。)

 

もしかしてこの本も、そういった意図で松浦勝人氏との「恋愛」というふうにしているのかな…?

 

愛といっても、いろんなかたちがあるよね。

わたしのあゆちゃんに対する思いだって、愛だよ。

だからそう、こうして感想を書きたいのに感想よりもあなたへの思いを綴ってしまうわけで。

 

だからね、あゆちゃんがいろんな言葉に表せない気持ちを抱えながらも、それでも言葉を紡いで歌詞を書いて曲をつくって歌い続けてきてくれていることにね、感謝しかない。

 

マサさんとあゆちゃんが出会った運命はね、そう、必然なんだよ。

Microphoneは音楽に対する思い…濱崎歩から浜崎あゆみへの思いは、マサさんとあゆちゃんが出会ってくれたことによって生まれた名曲だね。

 

マサさんには感謝の気持ちしかない。

あゆちゃんを浜崎あゆみとしてデビューさせてくれたこと、それによってどれだけ多くのひとが心を救われてきたことか想像もできないほどだ。

 

あゆの音楽を耳にしないものがいない世界を作る

とか

あゆは、世の中の好みになる必要なんてないんだ。

ってマサさんがあゆちゃんに言ったこと、ほんとうに今現実となっているよね。

あゆちゃんが世間から何を言われようが、まっすぐに気の向く方へ向かっていこうとするいる姿は、そういうことなんだね。

 

 

 

あゆちゃん、今が一番幸せだと毎朝思うって、とっても素敵だよ。

あゆちゃんが幸せだと感じていること、それがわたしにとっても幸せだよ。

 

 

 

浜崎あゆみが仮にもモンスターなんだとしたら、人が隠したかった心を気づかせてしまうモンスター。

それはそれは不器用で、なかなか人には理解してもらえないこともあるんだけれど、嘘がつけないからいつも一生懸命なモンスター。

そんな愛すべきモンスターである浜崎あゆみを、わたしは放っておくことができない。

 

 

 

 

ああ、2016年から2017年に変わるときのCOUNTDOWN LIVEで、一曲目から幻とも言われるkanariyaを歌ったのはもしかして…ここにもいろんな意味が込められているんだろうなと、このLIVEを振り返ることにもなる。

 

 

 

この本を読んで、事実に基づくフィクションと謳われているけれど、わたしにとって、そんなことはどうでも良いのかもしれない。

 

そんなことよりも、今の浜崎あゆみが、こういうかたちで過去にかいてきた歌に息を吹き込んでくれた。

それによって、今までとは違ったふうにその曲たちを聴くことが出来る。

そんなあゆちゃんの計らいにありがとうと言いたい。

 

そうだね、わたしはあゆちゃんのことがだいすきだから、きっとそんなふうに思うんだろうけど。

 

 

 

マサさんには、感謝してもしきれない。

あゆちゃんのデビュー、嘘のない歌詞、今もなお歌い続けるまでのエネルギーをあゆちゃんが持ち続けられていること、世間に流されないあゆちゃんのスタイル。

どれをとってもマサさんなしにはなかった。

マサさん、本当に本当にありがとう。

 

 

 

小松成美さん。

このストーリーを、こんなにも素敵に仕上げてくださって、ありがとう。

読み終わる頃にはリアルとファンタジーの境界線がまどろっこしく、まるで浜崎あゆみの歌詞を聴いているかのような感覚になっている。

 

 

 

 

さて、まとまりのない感想は、ここまでとしよう。

あゆちゃんへの愛ならいつだって溢れていて、本の感想と一緒に書くには、愛があまりにも大きな割合を占めてしまう。

M 愛すべき人がいて に登場する曲たち

この本に登場する曲は、全部で15曲。

  • æternal
  • A Song for XX
  • poker face
  • YOU
  • Trust
  • For My Dear..
  • Depend on you
  • WHATEVER
  • TO BE
  • Boys & Girls
  • appears
  • vogue,
  • Far away,
  • SEASONS
  • M

いくつかの曲と、思ったことを書いてみる。

æternal

これ、けっこう衝撃だったなぁ。

でもね、あゆちゃんが

僕たちは大人になる

と言い切っている曲で、どこか懐かしさを覚える雰囲気から、ああそうなんだろうなあって納得せざるを得なかった。

 

これまで、あゆちゃんは歌詞の中で何度も何度も「大人」になることについて歌ってきている。

 

大人になっていくことの意味なんてわからないままだとか、大人になって行く程に失ってきたものや増えてくものって一体何なのかなって考えながら。

 

そんな歌詞を書いていたけれど、æternalでは、もう完全に大人になっている。

A Song for XX

1999年に歌うA Song for XXと2018年に歌うA Song for XXは、あまりにも違う。

同じ人物が、同じ曲を歌っているようには見えない。

 

あゆちゃんが様々な経験をとおして、この曲を変化させている。

居場所がなかった 見つからなかった

未来には期待出来るのか分からずに

と儚げに歌っていた少女の姿は、もうない。

曲調さえもロックに変え、あまりにもかっこよく力強く歌うその姿が愛おしくなる。

 

あの頃の濱崎歩に、今の浜崎あゆみが歌うA Song for XXを聴いてほしいものだ。

poker face

超ドストレートな歌詞。

あなたの愛がほしいよ

だなんて、なかなか言えたもんじゃないよ。

For My Dear…

あゆちゃんがマサさんに届けたい思いが詰まっているね。

いつの日か言いたい言葉だけ言えそうで

歌をうたい続けて行くのかも知れない

いちばんに聞きたい言葉だけ聞けなくて

人を好きになったりするのかもしれない

マサさんの夢になれるよう、喜びになれるよう、誇りになれるよう…そうなれるように、歌い続けていくと決めた少女の真っ直ぐな思いだ。

TO BE

ファンからみるとこの曲はファンからあゆちゃんへの思いを歌った曲になる。

君がいなきゃ 何もなかった

ということは、あゆちゃんにとってマサさんというのはそんな存在ということなんだよね。

マサさんがいなきゃ、あゆちゃんの世界はまったく違うものだったと。

appears

ホテルの便箋に書き綴られたこの歌詞は、あゆちゃんがマサさんへの思いを大切に抱えていたことがわかる。

何回目の電話でどうしたかだなんて、そうそう覚えているものではない。

真実(ホントウ)のところなんて

誰にもわからない

この本のメッセージにも書かれているように、結局は真実は当の本人たちだけが知っていれば良いだけの事だと思う。

vogue, Far away, SEASONS

絶望三部作と呼ばれる3曲。

自分自身を夢に破れた敗者だと表現するあゆちゃんは、絶望の淵に立たされても歌い続けた。

歌い続けたあゆちゃんが、今こうして「事実に基づくフィクション」というかたちで当時感じていた気持ちと曲の歌詞とをリンクしてくれている。

M

この「M」がまさか…という声は多いが、真相はいかに。

 

タモリさんも大好きだという歌詞が

理由なく始まりは訪れ

終わりはいつだって理由を持つ…

という一番最後の部分だ。

 

この歌詞の意味を深く知る由もなく、ただ入院中に偶然見たミュージックステーションで「M」を歌うあゆちゃんとの出会いが、わたしの運命を、人生を変えた。

だからね、この曲はわたしにとってもすごく大切な曲。

本を読んで想像する、「この曲ももしかして…?」

この本を読んでみて、初期の頃にはマサさんへの気持ちを書いた曲がとっても多いと思ったひとはたくさんいるだろう。

もちろん、それがフィクションかもしれないということはわかっている。

 

しかし、もしこれがリアルだとしたら…もしかして、あの曲ももしかして、マサさんへの思いなのかな…っていう曲がいくつも出てくる。

 

とくに、A BESTに収録されている曲…ほとんどこの本にも出てくるけれど、そこに出てきていない曲や、最初の頃のアルバム。

 

正直、挙げればきりがない。

 

 

SURREAL

誰にも言えない

誰かに言いたい

あの人が誰より大切って

 

 

End roll

泣いても欲しがる子供のようにはなれなくて

精一杯のサヨナラ

そして歩いていく

ひとり歩いてみるから

君のいなくなった道でも 光照らしていける様に

 

 

As if…

いつわりの日々を続けるのも

そろそろ疲れてきたけど

それで一緒にいられるのなら 仕方ないね

普通に手をつなぎながら 街を歩きたくて

そんなことを夢見てる それだけなのに…

 

 

from your letter

この曲は、本を読んでから聴くと、本の中のあゆちゃんの感情そのものと感じる。

君にとって僕が必要なんだと思ったワケじゃない

僕にとって君が必要だと思ったからそばにいる

それだけ ただそれだけの事さ

 

 

part of Me

ある時僕は知ったんだ

別々に生まれた僕達は

だから自分を不完全に

思ってしまうんだろうって

同じ幸せを願いながら

同じ傷を心に刻む

 

まだあるけど、ほかのあゆちゃんファンのみなさんはどう思いますか?

M 愛すべき人がいて どこまでがリアルなのか

結局のところ、真実はわからない。

あゆちゃんが、そうしたいのだからそれで良い。

真実を知ったところで、何が変わるというのか。

 

真実はふたりしか知らない

 

そう、それで良い。

 

じゃあなぜ、この本を出したのか。

 

その理由だって、あゆちゃんが知っていれば良いんだと思う。

そんなあゆちゃんだから、わたしはこれからもだいすきだ

不器用で泥臭くて人間味あふれたあゆちゃんが主人公の「事実に基づくフィクション」を読み、わたしはますます浜崎あゆみが好きになる。

それは、本を読む前から既に決まっていたことなのかもしれない。

 

だってわたしは、浜崎あゆみがいなければわたしじゃなかった。

浜崎あゆみがいない世界は想像もできないほどだ。

あゆちゃんなしでは自分自身にもどこにも心を開けなかっただろう。

 

だからそう、今、こういうかたちで20歳の浜崎あゆみが心を開いてくれたという事実を大切にしたいと思うのだ。

 

あゆちゃん、これからもあゆちゃんのままでいてね。

 

 

with LOVE, nana

 

 

 

 

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